このところ高校野球の話題が世間をにぎわせている。
そのせいか、またもメディアから取材要請があってフジテレビ、テレビ朝日などに出演をした。
早実の斎藤投手、駒大苫小牧の田中投手の話題が中心。
しかし高校野球の歴史は脈々と続いている一例であって、こうして何度かヒーローを生み、世間が高校野球一色になったことがある。
この件で気づいたことが何点かある。
一点目は、やはり日本の中にある“野球人気”というものは国民の間に文化と言えば大げさだが、しっかりと根付いているということ。
最近、野球の不人気が言われているが、“野球人気はしっかりあるよ!”という証明をしてくれた。
二点目は、高校生でこんなに球数を投げて大丈夫か?ということ。
これは要するに“投げられる”ということをこれも証明してくれただけの話し。
思い起こしてみると、最近のプロ野球投手の球を投げるスタミナの不足は目に余るものがある。
この高校生たちを見ていると、今のプロ野球は変に過保護になって、球数制限とか分業制だとかで投手の肩や肘の保護を考えすぎていないか、今一度考え直してみる必要があるのではないかと思う。
それと同時に、ピッチャーとは何かを再認識するいい機会と捉えるべきではないだろうか?
約4200校ある高校の頂点に立った投手の将来は決してバラ色ではない。
むしろ進路を誤ると、その栄光も単なる想い出話しに終わることになる。
ゆえにヒーロー扱いはあくまでも今の時点での話題性の中であって、上には上がいるという気持ちでいることと、頂点に立った投手が上のクラスで大成する確率は低いということも考えておかないといけない。
一方、クラブチーム欽ちゃん球団が選手を半分にして縮小すると言っているが、まさしくいろいろな面で野球を続けることは難しい。
落ちこぼれを救うにも限度があるのが現実!
生易しい道ではないのが高校野球を含めた球界の現実だけに、高校球児の将来はいかに?
高校3年生になる春の大会で甲子園出場が決まりながら、部員の暴力行為で甲子園に出場停止、更には一年間野球部が解散して対外試合はおろか野球を取り上げられて夢破れた高校時代を思い出す度、「今の自分の人生があるのは、この苦しい時代があったからこそ」と思える。
栄光ばかりが人生ではない!
苦節も栄光に劣らず人生なのだと思う。
勝負事には勝者の美学、敗者の美学があるが、いずれも美学には変わりないのだ。
と、この高校野球の決勝戦で世間が大騒ぎする空気の中で、ふとこのような思いで野球界について思いを馳せておりました。
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